今ではニューヨークで年間440万人を超える利用者・観光客を集める人気施設「ハイライン」。
これがたった二人の若者の活動から開発が始まったことをご存知ですか?
目次
ニューヨークのハイラインとは

出典元:ピンタレスト
ハイラインとはニューヨークの観光地ベスト2位の観光施設で、廃止されて放置されていた高架貨物鉄道を転用した空中公園です。
その人気ぶりは2009 年 6 月にオープンし、観光客の数は今では自由の女神の 315 万人やニューヨーク近代美術館(MOMA)の 250 万人を上回るほど。
今ではこんなに賑わっていますが、開発以前は全くそんなことはなく、廃れた廃墟だったようです。
当時は取り壊しの方向で進んでいた

出典元:ウィキペディア
以前は高架貨物鉄道として活用されていましたが、当時は既に廃線になっており、ただの赤字を垂れ流すだけの存在でした。
そんな状態だったので当然ニューヨーク市としては取り壊してビルを建てようという話が有力で進んでいました。
ただ高架鉄道跡のある景観は今まで慣れ親しんだものだったので、反対の声も少なくはありませんでした。
今回声をあげた二人の有志もそんな反対の意見も持つ人達でした。
ただ彼らが普通の反対の意見を言うだけの人ではなく、そんな赤字の負債を収益化に持っていけるような推進力を持った人たちでした。
彼らがやったことその1:景観の素晴らしさを写真で魅力的に伝える

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まず彼らがやったのは、ハイラインの素晴らしさ、魅力を多くの人々に知らせる、気づかせることでした。
それは写真家に協力してもらって、ハイラインからの景色を写真で取り、それを写真集にして販売・配布するというやり方でした。
さらにそれがNYタイムズに取り上げられることで一躍ハイラインの景観はNY中に知れ渡りました。
その知らしめ方は秀逸で、すぐに人々にハイラインの景観の魅力は知れ渡り、後々にNPO法人を立ち上げた際には寄付を多く募ることを助けました。
また近くに住む人達にもハイラインの魅力を伝えることができ、反対の声を増やすこともできました。

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彼らがやったことその2:専門家・各方面の人たちを加えて定期的にミーティングを行う
そして次にやったのは専門家・各方面の人たちを加えて定期的にミーティングを行うことでした。
ただ魅力を伝えるだけでなく、「じゃあ実際に残すとしてどういったやり方があるか、どう収益化を図るのか、どんなものとして残すのか」というあらゆる方向から物事を具体的に進めていきました。
建物のカタチ、コンセプト、収益化、運営者、etc…たくさんの決めることがあり、都市開発・都市計画で挫折する一番のポイントだと思います、特にこういった有志から発生したやり方では。
ただ彼らは自分達で全てを進めようとするのではなく、他の人達をうまく巻き込んで力になってもらうやり方を取りました。
「あくまで自分たちはバトンを渡すことが役割」というようなカタチで、うまく具体化するフェーズには他の人の協力を得ながら具体的なプランに落とし込んでいきました。
彼らがやったことその3:立ち退き料ではなく、開発権を与える
一般的に都市開発を行う際には新しい建物を作る場合が往々にしてあります。
今回のハイラインもまた同じですが、一般の立ち退きとは違いました。
彼らがやったのはただ立ち退き料として一時的に高額なお金を渡して終わりではなく、他の土地の開発権を与えるというものでした。
つまり他のある特定の土地を開発する際には、そこで今後発生する利益の一定額を立ち退き者に与え続けるというものです。
これは立ち退く側の人間にとっては非常に合理的で、実際にそこで今後発生するであろう価値を享受し続けることができるので、不平不満を言う人は数少なったそうです。
彼らがやったことその4:資金調達イベントを定期的に開き、寄付者同士での交流を図る
彼らがやったのは、ファンドレイジングという手法で、資金調達イベントとも呼ばれます。
今ではクラウドファンディングは一般的になっていますが、これは普通のクラウドファンディングとは異なり、寄付者同士で集まれるイベント、機会があるということです。
寄付をしたもの同士で交流を図ることができ、双方で関係性が生まれ、そこで交流したもの同士で何か全く新しいことをすることも可能になるし、更に友人、知人を呼んでハイラインへの寄付・資金調達を募ることも可能です。
また「フレンズ・オブ・ハイライン」というメールを定期的に寄付者に送り、説得力のある文章で近況・未来への計画を報告し、ワンクリックでさらに寄付をしやすい仕組みを構築しました。
さらにホームページもしっかりと構築し、メールからも誘導できるような体制を作っていました。
寄付が当たり前という文化
文献を読んでいて思ったのは、向こうの人達と私たち日本人が圧倒的に異なるのは「寄付に対しての考え」です。
アメリカの人たちは行きつけの美術館の会員に多くの人たちがなっているそうです。
それは向こうの人たちにとっては一般的なことでごく自然にそういうことが出来ているそう。
なのでハイラインのようなメールマガジンでワンクリックで寄付、ということもさほど違和感なく受け入れられたんだと思います。
アメリカでは寄付が文化であり、寄付をすることが一種のステータスのようになっている印象でした。
行政との上手な関係性
こういった都市開発は行政が主導になって行うケースが多く、その場合は多くが失敗します。
なぜなら運営に主体性がなくなるからです。
今回はハイライン運動の主体は行政ではなく、あくまで一般人。
なので今回は行政が運営を行うのではなくハイライン運動で発生したNPO団体に運営を委託するという形で運営しています。
これは最初の有志の二人が立ち上げて、今では運営者を別に設けて運営を任せています。
このように運営と管理を分けることで、うまく民間と行政が関わってハイラインを良い形に持っていくことができるのだろうと思います。
ハイライン運動の結果の収益化
ハイラインを公園化したことで発生した収益化も相当のものでした。
まず観光客が爆発的に増えました。
NYの中で1位の観光地はメトロポリタンですが、ハイラインは現在2位です。
どのくらい凄いかというと、3位は自由の女神と言えばその凄さが分かるでしょうか。
また雇用もかなり増えました。
ハイライン周りにも観光店やカフェなど色んなショップが増えましたし、ハイラインを運営するNPOの人たちが募ってお店を出すシステムもあるのでどんどん雇用が生まれています。
このように魅力があり、フリースペースがあると観光・雇用の面で相当な経済効果が見込めるということです。
ハイラインが高架貨物鉄道になるまでと廃止まで

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元々ハイラインは、マンハッタンで貨物鉄道として利用されていました。
鉄道が通る場所の中でもミートパッキングエリア(すなわち精肉市場)というところが一番栄えていてNYの中でも最も大きな市場があったところです。
いろんなところからものが集まるところだったので電車もよく活用されていました。
ただ当時は鉄道と車が同じところを走っていたりと危険な運用だったようで、よく事故が起こっていたようです。
それが問題視され、「道路と鉄道を分離しよう」という声が上がり地上より上に鉄道を作り、高架貨物鉄道として利用されるようになりました。
ただ時間の流れとともに道路も整備されてきて、輸送手段がトラックなどになり、周囲にも高層ビルが増えてきて、ハイラインの必要性がなくなってきて、どんどん廃れてゆき、最終的には廃線となり、しばらくは使われていなかったようです。
なのでNYとしてはそれを廃止してビル等を建てるのは至極当然の見解で方向だと思います。
ただそこで一歩立ち止まって景観の美しさ、文化、歴史を守るという思い、またそれを実際に収益化まで持っていく二人:デイビッドとハモンドは本当に凄いなと思います。
二人が出会ったきっかけとは
彼らが出会ったのはNYの市民参加制度に参加したして、たまたま隣同士の席で意気投合したのがきっかけでした。
デビットはフリーランスのライター、編集者で、ハモンドはNPO団体のコンサルタントをしています。
彼らは作り出すものはありませんが、編集してそれの運用を考え実行するということはピカイチのタッグでした。
ロバート・ハモンドのTEDの公園の動画がありますので、リンクしておきます。
最後に
これらは建築見習いの妻から聞いたことを元に書き上げました。
とても印象的な話だったので共有したいと思い、ブログにアップしています。
都市開発や地域に役に立つ空間を提供する際の運営や拡散方法・具体的な資金の募り方など、あらゆる方向から参考になる事例だったので、とても参考になりました。
またデビットとハモンドの二人も魅力的な職種で、編集して運用することができれば割となんでもできるんじゃないかなと思ってしまいました。
自分が今すぐ何かをするわけではないですが、ディレクション、物事を進める身として勉強になりました!
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