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報連相を怠る事、凡ミス、言われたことしかやらないことの弊害

17/02/08 ( 18/11/24 Edited)

約7分で読めます

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会社での話ですが、数ヶ月前から部下を持つことになりました。

今までそんな経験もなく、ずっと自分が部下で下っ端のポジションで仕事をしてきましたが、部下を持つようになってここ数ヶ月でとても 学ぶことが多過ぎて正直驚いています。

上司になったからといって仕事が急にできるようになったわけでも、偉くなったわけでもないですが、一番大きいのは「上司・社長の気持ちが痛いほどわかるようになった」ことです。

報告・連絡・相談を怠る事、凡ミス、言われたことしかやらないことの弊害

具体的には報告や連絡、相談を怠ることや、凡ミス、言われたことしかやらない、ということの弊害を理解しました。

 

報告・連絡・相談を怠ると何がいけないのか

正直自分が下っ端だった頃は、何がいけないのか正直わからなかったというと横柄すぎますが、そこまで死ぬほど重要視はしていませんでした。

ただある程度の報告や連絡はしていましたし、悩んだら相談をする。

そういったことは一般的にやっていたつもりです。

ただ自分が上司になると、とてもこういった当たり前のことにとても意識をしてしまいます。

部下が何をしているのか、何で悩んでいるのか、何を考えているのかがわからない

というのが報告・連絡・相談が部下から無い、少ないと、上司からすると部下が何をしているのか、何で悩んでいるのか、何を考えているのかがわからないからです。

自分が部下だった立場からすると、「そんなの見ればわかるじゃないか。自分が指示したことだろ!」と思うかもしれませんが、それはなかなか難しい話です。

そもそも自分が出来ない仕事量であったり、効率的に仕事を進めるために部下に任せているのであって、それを事細かく「今日はこれをして明日はこれをしろ」と一々指示をしていたら自分がしたほうが早いこともありますし、それを管理・報告することも業務の一貫だと思うんですね。

上に状況を報告する時に良い報告は出来ないし、何かミスがあった時にかばえない

また報告等がないとなると上に状況を報告する時に良い報告は出来ないし、何かミスがあった時にかばえないということも発生してきます。

また事後報告であったり、締め切りギリギリの報告になると、成果のハードルが格段に上がるので、厳しい目で見る必要があるので結果的に叱ることになります。

そういったことが多く起こってくると、「仕事の管理すら任せられない」となり、逐一「あればどうなっている?」「これはどうなっている?」と都度聞く羽目になります。

それだと任せている意味がないとまでは言いませんが、半減してしまうのです。

出来る限り任せられたものはスケジュールを守り報告して欲しいと思うのが、上司や先輩や社長なんだなと。

凡ミスを連発することの弊害

凡ミスは一回ならまだしも、連続でされると人間性まで疑ってしまいます。

「そもそも人間的に大丈夫なのか?」という目で見てしまい、その人の本質がミスをする人間なんだという印象になってしまいます。

それが更に続くと注意が散漫な人間、ひいては言われたことすらできないというレッテルが貼られます。

そうなってくるとより細かな事でも報告をさせるようになり、無駄な確認業務が増え、任せない方が良いと思うようになります。

やればやるほどその人は信頼を失っていく

凡ミスの弊害は、やればやるほどその人の信頼を周りは失っていくということです。

そして失った信頼を取り戻すのは凡ミスをした数倍ノーミスでクオリティの高いものを仕上げるしかなくなります。

言われたことしか出来ないことの弊害

言われたことすら出来ないと、プラスアルファの提案はまず出来ないと思われます。

またそのレベルでしか業務を深掘りして考えれていないと見なされ、普通の指示をした業務結果でさえも粗探しをしていまいます。

海外は日本ほどホウレンソウが重要視されていない?

海外は日本ほどホウレンソウが重要視されていないという記事をよく見かけます。

それを初めて読んだ時には、「あぁ、いい国だなあ〜日本は窮屈だな〜」と思った記憶があります。

ただそれは物事の一面しか見れていなかったなと今では反省しています。

日本ほどホウレンソウが重要視されていない国は、その国の人間が「自由と責任」という意識をしっかりとほぼ全員が持っているからだと思います。

例えば下記の記事がとても参考になりましたので、抜粋します。

この動画は歴代サッカー日本代表監督の通訳の方3人による対談。
トルシエ・ジーコ・オシムの3監督の通訳の方が登場します。

その中で3人が同じように指摘しているのが、外国人監督が求める「自由」と、日本人選手が考える「自由」にズレがあるということ。

以下、上記動画からの抜粋です。

千田さん(オシム監督の通訳)

「オシムさんは自由を与えてもそれを使いこなせない選手がいる、と言ったことがある。監督から言われたことは何でもやる。あるいはやるなと言われたことはやらない。そういう意味での規律はあるのだけど。自分の頭で考えろ、自分の責任でチャレンジしろ、そういう場に置かれた経験がないままプロになった選手がいる、ということを心配していた。」

外国人監督の言う自由とは、各自が責任を負ってその上に成り立つ自由なのです。

まさしく僕は今回のワーホリでこれを経験しました。
上司は初日から僕に「自由で責任のある行動」を求めてきたのです。

引用:海外で働いて気付いた、外国人と日本人の上司が求めるものの違い

「自分で考えて責任を負って自由に行動する」ということができるのが当たり前という国もある

上記にもあるように、外国の一部の国民の中では、「自分で考えて責任を負って自由に行動する」ということができるのが当たり前という認識があるようです。

それは生まれ持ってあるものでしょうし、国民性ということもあるでしょうし、教育の結果かもしれません。

そういった自分で考えて行動できる人間が多い国だと、自然とホウレンソウなんてしちめんどくさいことをせずともうまく仕事が回ります。

もしくは、プロフェッショナルばかりがいるクオリティの高い職場であればあり得るでしょう。

日本人が基本的に自分で考えて自主的に行動する能力が壊滅的に低い?

反対に日本がホウレンソウを重視するのは、「日本人が基本的に自分で考えて自主的に行動する能力が壊滅的に低い」ということが原因なんだと思います。

これはもちろん自分も含めです。

というのは良い悪いの世界ではなく、単にそういう特徴の国民なんだということだと思います。

もしくは自分の職場がプロフェッショナルばかり集まる職場ではない、という側面ももちろんあるでしょうが、その視点が海外賛美の記事や意見には欠けているのかなと感じました。

最後に

海外であろうと日本であろうと、「何のためにこの業務を行うのか」を考えて仕事をすれば、最終的に「責任を持って自由に自主的に業務を行う」ことが理想なんだろうなと。

それすらできない状況であれば、「ホウレンソウを徹底し、凡ミスを防ぎ、言われたこと以上のことをやる」ことがまず必要なんだと思いました。

「自由に責任を持って」ということはそこから先のステージの話だなと。

もちろん自分も含め。

 

ふと思ったことがあったので、書きなぐってみました。

 

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